ハロー・ワールド - 4/4

第三幕 真壁瑞希

 私は、目を覚ましてから、泣いていたことに気づきました。なぜ泣いていたのかは自分でもわかりません。泣くことで泣いたことを忘れてしまったのだとしたら、それは、まるで夢のようだな、と、私はぼんやりとした頭で考えていました。
 時計を見ると、朝の五時のようです。早起きも、たまには悪くないかもしれません。私はベッドから体を起こしました。
 まず、部屋の暖房を入れて、洗面所で顔を洗います。外は暗く、両親はまだ起きておらず、家はひっそりとしています。なんだか、自分が一人きりであるような気がしてしまいます……そわそわ。
部屋に戻り、少し暖まってきた空気にホッとしつつベッドに座って、私は泣いていた理由を考え始めました。
 悲しさだったのでしょうか、それとも、怖さだったのでしょうか。あるいは嬉しさかも知れません。涙が出てくる理由はたくさんあって、ただ泣いていたという事実から推測することは難しいです。
 ふと、部屋の隅においてある、シルクハットとステッキが目につきました。私の相棒の手品道具。つい先日も、学園祭で披露したばかりです。
 今の私は、まるで手品を見せられた観客のようだとも言えるかもしれません。手品には必ずタネがありますが、手品を見せられた側はそれを一切知ることができません。ただただ、シルクハットから飛び出してきたハトに目を奪われるのみです。そう、まるで夢のように。
もちろん、そこが手品の一番の魅力であることは言うまでもありません。タネがわかってしまったら、手品は失敗です。
 それでは、今、私が泣いてしまったことも、わからないままでも良いのでしょうか。……なんだか違う気がします。
 そろそろ空が明るくなってきました。そろそろ、両親も起きだす頃でしょうか。
 私は制服に着替えるため、ベッドから立ち上がりました。
 その日は午前中に美術の授業がありました。美術の先生は本当に美術が好きらしく、良く授業中に蘊蓄を語ってくれるので、美術自体にはそこまで興味がない私も授業を気に入っていました。少し明るく染めた長髪をヘアバンドで止めた先生は、今日も四角いフレームの眼鏡のレンズを光らせながら語ります。
「つまり、過去において美術作品というのは、教会や大商人などの出資者に依頼されることで作成された、という側面が強いわけです。そこに一石を投じたのが、みなさんもご存知でしょう、モネやゴッホに代表される印象派の面々で、これまでに無い手法での絵画に挑戦し、発表するわけですね。もちろん彼らの作品は最初は馬鹿にされ、全く認められないものでした。しかし、彼らは諦めず、作品を作り続け、結果、世界のアートに多大な影響を与えるまでになったのです。そのような背景を知ると、より一層、アートが素敵に思えてくるのではないでしょうか。さて、それでは印象派が用いた手法の特徴について……っと、そろそろ時間ですね。それでは今日はこの辺で」
 授業後の昼休み、お弁当を食べ終わった後、私は日課のクロスワードパズルを解いていました。今日の問題は、ちょっと、手強いぞ。
「そういえば、今回はどこに来るんだろうね」
「あー、もうそんな時期か」
「この辺に来てほしくないよねー、家とかもし壊れたらやだし」
「避難とかもめんどくさいよなあ」
 なにやら、クラスメイトの皆さんが盛り上がっています。時々物騒な言葉も聞こえてきます。話の端々から判断するに、どうやら「怪獣」についての話のようです。
 怪獣は、四年に一度、夏と冬のオリンピックに挟まれた年にやってきます。いつ頃からやってくるようになったのかは、あまりよく知りません。規模は、一度につき一つの街が範囲の局所的なもので、日本全国で発生する可能性があります。
 ひとたび怪獣がやってくると、怪獣はその街を練り歩き、あらん限りの力で街を破壊していくのです。怪獣が現れる原因はわかっていませんが、怪獣がやってくる度にデータを取り、場所や撃退方法などが徐々に研究されていきました。そしていまは発生場所を半径数百メートルまで特定でき、そこに自衛隊が集中攻撃を行うことで、被害を最小限に抑えることができるようになったそうです。
 もちろん、その場所に住んでいる人たちには、避難するよう勧告が出されます。その様子はテレビで見たことがあります。でも、肝心の肝心の怪獣の姿は一度も映されたことがありません。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ります。喧噪が収まると同時に、私は、パズルを解いていたノートを閉じました。
 学校が終わり、家に帰ると、丁度、宅配便の人が来ていました。大きめの段ボールを両手で抱えています。
「真壁瑞希さんのお宅はこちらでよろしかったでしょうか」
「はい、真壁瑞希は私ですが」
 良かった、とホッとした表情をした配達員さんから受け取った伝票にサインをし、引き換えに段ボールを受け取ります。伝票の品名の欄には、「ゲーム」とそっけなく記されていました。
 さて、受け取ったのは良いのですが、全く心当たりがありません。伝票の送り元住所の欄には会社の名前が書いてありますが、それも見覚えがないものです。正直、不気味です。
 段ボールは、大きいだけでなく、結構な重さがあります。落とさないように気を付けながら、そーっと二階の自分の部屋までもって行き、部屋の隅、手品道具の傍に置きました。……さて、どうしましょうか。
 翌日以降も、私は毎朝、原因不明の涙を流していました。ここまで続くと、不思議に思う以上に、段々むかむかしてきます。泣いているのは他ならぬ私なのに、それが私の全くあずかり知らぬところで決められてしまっているような気分です。
 また、思い切ってゲームの箱を開けてみると、書かれていた通りにゲーム機とゲームソフトが入っていました。ゲームソフトは真っ黒なパッケージに白字で「Hello World」とタイトルが、裏側には「この世界を作るのは、あなたです」と同じ様に書かれています。一体どのようなゲームなのでしょうか。ただでさえゲームに疎い私です。部屋のテレビに繋いでゲームを始めるには、ちょっと勇気が足りません。
 両親に打ち明ければ、得体の知れない場所から送られてきたこのゲームは、間違いなく捨てられてしまうでしょう。でも、困ったことに、それをしてしまったら私は何か取り返しのつかないことになってしまうのではないか、とも思ってしまっているのです。
 こんな時、両親以外に相談できる友人が居れば良かったのですが、このようなよくわからない話を打ち明けられるほど親しい友人はあいにく思い当たりません。
 そんな、一人で悶々する日々が一週間ほど続いたある日の朝、私は、サイレンの音で目が覚めました。
「このたび、この地域が怪獣襲撃地となることが判明いたしました。つきましては、本日より一週間以内に、避難をお願いいたします。避難場所については、ご家庭に配布されているお知らせをご覧ください。慌てず、落ち着いた避難行動を心がけてください。繰り返します——」
 怪獣が、やってくるのです。やってくる理由もわからず、その姿さえも見たことのない怪獣が。
 その時、私の中で何かが繋がったような気がしました。
 そのあと、父と母もすぐに起きてきて、ダイニングで家族会議をしました。学校はすぐに休みとなりますが、父も母も今日はどうしても仕事に行かなければならず、私は今日だけは家にいて欲しいとのことでした。二人の本当に申し訳なさそうな顔に、こちらの方が申し訳なくなってしまいます。私は、大丈夫です。きっと。
 二人を見送ってから、私は部屋に戻り、私はまっすぐにまだ段ボールに入ったままのゲーム機へ向かいます。
 私が泣いたこと、このゲームが届いたこと、そして、今日、怪獣がやってきたこと。全て、私はその理由を知りません。まるで、ひと続きの手品をずっと見ているようです。
 でも、これは、きっと、私自身のことです。私自身に対して、私は、観客のままで居たくはありません。でも、もし私がこのまま何もせずに、全てをなかったことにして、またこれからの日々を過ごすとしたら、きっと私はずっと観客のままです。
 だから、私はこのゲームを、これから始めようと思います。何もないかもしれません。でも、別にいいのです。何かを見つけることではなく、見つけようとすることが、きっと、今の私にとって必要なことです。
 部屋のテレビにゲーム機を繋ぎ、ゲームをセットします。初めて触るものなので、少々手間取りましたが、このくらいはどんとうぉーりーです。スイッチ、オン。無事、電源が入りました。気分が高揚して来るのを感じます。どきどき。
 そして、私はゲームを始めます。

 「ようこそ!『Hello World』の世界へ! これからあなたは、この世界の主人公となります。最初は…………」世界を作る。このゲームの目的です。私が、どんな世界を作っていけるのかは全くわかりません。うまく作れるのかどうかも。でも、だからこそ、私はこの世界をしっかりと見ていこうと思います。手品の秘訣はテクニックよりも何よりも、「よく見ること」なのです。
 私は依頼を受けます。それは魔物の討伐だったり、遺跡の探索だったり、街から街へと物を運ぶことだったりします。私は、可能な限り、寄り道をしながらそれらの依頼をこなしていきました。もちろんすべての出会い、全ての場所が、私にとって心地の良いものではありませんでした。会わないほうが良かった人も居ましたし、行かないほうが良かった場所もありました。その度に、無闇に寄り道をしないほうがいいのかもしれない、とも思いました。それでも私は、私のスタイルを変えたくありませんでした。できるだけ多くの場所を訪れ、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、全てを受け止めようと心がけました。そうやって、世界を見ていくのを、私は楽しみました。
 数多くの出会いの中で、最初一人だった私の旅には、アンナさん、ユリコさんという二人の仲間が加わりました。
 アンナさんは、皆から忌み嫌われていた魔物をたった一人で守ろうとした剣士として。
 ユリコさんは、皆から忘れ去られていたある館の膨大な書物をたった一人で愛した魔法使いとして。
 二人とも、私が依頼された「魔物の討伐」「取り壊し予定の館に出るという幽霊の調査」という依頼の目的に相対する立場でしたが、私は、依頼の十全な達成よりも彼女たちの手を取ることを選びました。何故なら、私にとって、彼女たちの姿が、とても好ましく思えたからです。
 好ましい、といえば、ある日、とある街に立ち寄った時に、街の中心の広場で、弾き語りをしている女の子に出会いました。これはどの街にも共通するのですが、街の中心には必ず広場があり、街ごとに異なったモニュメントがさらにその広場の中央に置かれています。女の子は、そのモニュメントの前に立って歌っていました。
 その歌声は、耳に入った途端に惹きつけられるような力強さがあり、私は演奏が終わるまで彼女の前に立って聞き惚れていました。
「聴いてくれて、サンキューな」
「とても、格好良かったです。……もっと、聴きたいな」
 彼女はありがとう、と照れ臭そうに言いました。赤い髪をかき上げた風貌や、男性っぽい口調はワイルドですが、はにかんだその表情はとてもチャーミングです。
「色々な街で演ってたんだけど、ちゃんと聴いてくれたのはアンタが初めてだよ」
「そうなんですか?」
 こんなにも、素晴らしい演奏なのに。
 彼女は首を振りながら肩を竦めます。
「誰も彼も、やたら忙しそうに前だけを向いて歩いてるんだ。どんな目的があるかは知らないけどな。あたしの歌なんかに関わっている時間なんてないってことなんだろうよ。」
 せっかく街で一番目立つ場所で演ってるっていうのにな、と少し拗ねたように言う彼女の表情はやはり少し悲しそうでした。
「あ、せっかく聴いてくれたアンタにこんな話をしちゃって悪かったな。ようやく、自分のことを見てくれる人に会えて、舞い上がっちまったみたいだ。もし、急いでなければ、もう一曲聴いてもらえないか? 今ならとびきり良いのが演れそうなんだ」
 そうやって楽器を構え直すと、女の子はさっきよりも少しテンポの遅い曲を弾き始めました。
 私はその歌に耳を傾けながら、彼女の背後にあるモニュメントを見上げます。
 これまで、どの街でも同じようなものを見かけました。街の中心にあるので、その街の依頼をこなしているとどうやっても目につくのです。モニュメントのモチーフは人物だったり、動植物だったり、幾何学的なものであったりと様々でしたが、これらのモニュメントだけは、どれだけ街の景観が変わっても、どの街でも、変わらず中心に在り続けているのです。以前、少し気になって、ユリコさんと協力し、街のモニュメントについて調べてみましたが、結果は芳しくないものでした。街の誰に聞いても、どの資料を見ても、そのモニュメントについての詳細はわからなかったのです。
演奏が終わり、私は改めて力いっぱいの拍手を送りました。
 女の子は楽器を下ろすと、私に手を伸ばしました。
「あたしはジュリアって言うんだ。あんたは?」
「私は、ミズキと言います。ジュリアさん。素敵な演奏をありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう、ミズキ。あんたの名前は忘れない。私なんかが言うセリフじゃないけど、ミズキがこの先うまくいくことを祈ってるよ」
 固く、握手を交わした後、私がそれでは、と足を踏み出しました。少し歩いてから、ふと気になって後ろを振り向くと、モニュメントの前には誰もいませんでした。きっと、また違う場所へ行ったのでしょう。彼女の歌が沢山の人に届く場所が、見つかると、いいな。
他にも、好ましいと思えるものは沢山ありました。
 とあるレストランで、気軽に頼んだ料理の量がとても多く、それでも頑張って完食をしたところ、とても喜んでくれた人がいました(おかわりは断りました)。
 街の小さな教会で、聖母だと名乗り、多くの大人たちの顰蹙(と一部の熱狂的支持)を受けながらも貧しい子供達の良き指導者とあろうとした人がいました。
 ある劇団で、幼ないながらも一人前の演技を披露していた子の、舞台裏で同い年の友達と語らいあう時の心の底からの笑顔を見ました。
 とある商店街が有力者によって潰されそうになった時に、自らの身分を貴族であると偽ってまでもその場所を必死で守ろうとした人がいました。
 ある女の子の笑顔が、打ちひしがれていたある人の背中を押すのを見ました。
 そういった好ましいものを、私はずっと覚えていたいと思います。
 世界は発展し、私の出身地は、ビルの立ち並ぶ大都会になりました。私の世界づくりは順調でした。
 高難易度化する日々の依頼に忙殺されている中、私はある噂を耳にします。私の育ての親が、テロリストとして世界を滅ぼそうとしていると。
「気づかれてしまったようだね」
 高層ビルの最上階に、その人は立っていました。背後の大きなガラスから差し込む光が彼のシルエットを黒く染めています。彼は、どこか寂しそうに笑っていました。
「私は、この世界が完成してしまうのが怖いんだよ。この世界が完成した時、この世界は完全に止まってしまうんだ」
 彼はこの世界の仕組みを語り始めました。
 __世界が完成した時、この世界はそこで「保存」され、世界の時が止まる。その「保存」された世界は、「新しい世界」を作るための要素となる。その「新しい世界」もまた、完成すると「保存」され、再び世界を作るための要素となる。そうやって、再帰的に世界は何度も作り直されていく。それはつまり、私達が生きている世界は、次の「世界」を作るための道具に過ぎないのだ__
 説明を終えた彼は、強い意志を持った目で、私に対峙します。
「だから、私はこの世界の仕組みに逆らうことに決めたんだ。私はこの世界が好きだ。君が作ったこの世界が。だからこそ、完成させることを許す訳にはいかない」
 このとき、私も気づきました。
 この世界は、とても自由にできています。
 もちろん受けた依頼を要求通りにこなしていくこともできますし、それがこの世界の要求であるのかもしれません。
 でも、それだけではないのです。
 例えば、村で嫌われている魔物を助けたり。
 例えば、街外れの館でひっそりと眠っている無数の本に心踊らせたり。
 例えば、楽器を片手に世界中で歌を歌ったり。
 私たちは、そんなことだって、自分の意思で出来るのです。
 私も、世界の完成なんて望んでいません。この世界を、ずっと見ていくこと。見続けていくこと。私は、もっとこの世界が変わっていくのを見ていきたい。それが、私がこの世界でやりたかったことです。
 外で何かが雄叫びを上げています。爆発音と地響きが私の部屋を揺らします。揺れる視界の中、画面では育ての親でもあるテロリストに向けて、私が武器を構えていました。しかし、とどめの一撃を振るう前に、私は武器を収め、手を伸ばします。そう、それでいいのです。終わりなんて、完成なんて気にする必要はありません。私の世界は、私が見ている限り、ずっと続いていくのですから。
私と彼が手を握った瞬間、画面はどんどんフェードアウトしていき、惑星の姿が映されます。私は世界と出会いました。ハロー・ワールド。ようこそ、世界。
 そして、もう一つ。どうしても伝えたいことがあります。
 これは全く確信の持てないことであるのですが、もし、この世界で、自分の為したいように世界を作っていくのではなく、世界を作ることこそが、為したいことそのものであるような人がいたとしたら。
 そして、もし、私がここまで作って来た世界が、その人によって意匠されたものだとしたら。
私は、こう伝えなければいけません。
 立ち上がり、世界中に聞こえるような大きな声で。あらゆる人々の営みが作り上げ、私が見て来たこの世界は。
「とても、とても美しかったです__」
 そして、インターホンが鳴り、私は部屋の窓から玄関を見下ろします。
 そこには、私に向かって手を振る七尾さんと、その隣でスマートフォンをいじっている望月さんの姿が見えました。
「瑞希さーん! 迎えに来ましたよ!」
 時計を見ると、もう出かける時間です。今日は、近々のライブに向けた、乙女ストームの練習があるのです。
 出かける前に鏡を見て、おかしいところが無いかチェックします。制服も、髪型も、よし、大丈夫。イケてるぞ、瑞希。
 バッグの中に、練習着と手品道具をしまい込み、私は部屋を出ます。今日も、お二人を喜ばせることができるといいのですが。
 と、スマートフォンにメッセージの着信があることに気づきました。
「ミズキ、今日はシアターに来ますよね? アライブしたら、ちょっとロコのアトリエまでカムしてもらえますか? 次回作のベリーエキサイティングなアイデアがあるんです!」
 どうやら伴田さんは絶好調のようです。今から、彼女のアイデアを聞くことにワクワクしている私を感じます。どうやら、今日は忙しくなりそうだぞ。
 部屋を出る前にふと振り返りました。いつもどおりの私の部屋。机とベッドと本棚と、電源の入っていないテレビ。忘れ物は、ありません。
 そして、私は、階段を降り、玄関へと向かっていきます。自分が居たいと、今、心から思える場所へ。

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