ハロー・ワールド - 1/4

第一幕  望月杏奈

 いつの間にか、眠ってしまっていたようです。
「ん……起こし…ちゃった?」
 部屋の主、望月さんが向かっているのはテレビの前。そのテレビから流れる独特な電子音がどうやら私を起こしてくれたようです。
 テレビにはゲーム機がつながっていて、望月さんは手元の分厚い攻略本と、テレビ画面に目線を行き来させながら、コントローラーを操作していました。
「ごめんなさい、ちょっと、眠ってしまっていました」
 あまり、行儀の良いことではありません。……反省だぞ。
「ううん…いいよ。瑞希さんの寝顔…可愛かったし」
「……そうですか」
 望月さんは、こういうことをなんの気もなしに言うのでちょっと戸惑ってしまいます。ずるいです。
 望月さんの部屋にはこたつと大きいテレビがあって、こたつの周りには読みかけの本、漫画、雑誌が散らばっています。そして、こたつの上には袋の空いたスナック菓子と飲みかけのジュースとみかん。
 部屋全体が雑然としていますが、だからこその心地よさがあって、私もつい望月さんの部屋には長居してしまいます。それはもちろん、望月さん自身が、良い意味で人に気を使わせない人だからでもあり、その人徳によるものでしょうか、望月さんの部屋には来客者が多いのです。具体的には、望月さんはとあるオンラインゲームを熱心にプレイしていて、一緒にゲームを遊んでいるの仲間の皆さん(ギルドメンバー、と言うらしいです)が望月さんの部屋に頻繁に集まるのです。望月さんの戦友である彼女たちから聞いたところによると、望月さんはオンラインゲーム上ではとても明るく、「今日もビビッとパーフェクト!」のかけ声と共に皆を引っ張っていくリーダーであるとのことです。そのため、本人に会うとその小動物のような言動とのギャップに驚いたそうなのですが、それでもすぐに打ち解けて、むしろ望月さんと過ごす時間をゲームそのものよりも好むようになったとのことです。曰く、「ゲームをしてるところを見てるだけで癒される」「私の部屋にも居て欲しい」。その意見に心からの共感を示した私が彼女たちと無言で交わした握手を望月さんは不思議そうな顔で見ていました。そんな良い感じに緩い空間なので、ゲームのことがあまりわからず、「望月さんの学校の友達」というだけのポジションの私も、彼女たちとLINEを交換できてしまうぐらいには存在を許されているのです。彼女達とは望月さんと関係する範囲でのやりとりしかありませんが、私はそんな関係を悪くないなと思っています。
 それはそれとして、今日の望月さん宅の客人は私一人で、望月さんはいつもどおりにテレビ画面へ向かっています。寝起きのぼんやりした頭で望月さんの後ろ姿を眺めていたところ、突然ぴたっとコントローラーを握る手の動きが止まりました。数分間、そのままの姿勢から微動だにしなかったため、少し心配になって声をかけました。まさか急に眠ってしまったわけではないと思うのですが。
「あの、どうしたのですか?」
「どうしよう…すごく…めんどうくさくなっちゃった」
 そう言って、コテン、とテレビを見ながら横向きに倒れる望月さん。……かわいい。
「その、ゲームがですか?」
「うん…そう…なんだけど…もっと…ちゃんと言うとね」
 寝転がったまま、腕だけ伸ばして重そうな黒いカバーの本を指差します。どうやら、そのゲームの攻略本のようです。
「これどおりにやるのが…すごく…めんどうくさくなっちゃったの」
「すごく、厚い本ですね……確かに、この本を読むのは大変そうです」
「あ…読むのは辛くないよ…というか…読むのは…杏奈…好き…なんだけど」
 そしてそのまま、今後はテレビ画面を指差します。どうやら、どこかの洞窟を探険している途中のようですが、画面の中央にはプレイの一時停止を示す「PAUSE」の文字が浮かんでいます。
「この場所に来るまでに…会っておきたい人がいたの。でも…会うのをすっかり忘れちゃって。このままだと…これからイベントを起こすことができないの。だけど…それをやるには二時間前ぐらいのデータからやり直さなくちゃいけなくて」
 杏奈さんはゴロンと一回転して私の方を向きました。
「でもね、本当は、こんなことをしなくても、ゲームは進めることもできるし、クリアもできるの。ちょっと、物足りなくなるけど。それで、それはね、この攻略本を読まないと、気づかないこと」
 杏奈さんがだんだん饒舌になってきました。「スイッチ」が、入ったみたいです。
「こういう攻略本を読んでるとね、どうしてもこの本のとおりにやらなきゃいけないって気持ちになっちゃって。実際そうやってプレイするのはすっごく楽しいんだけれどね。でも、こういうことがあるとさ、ちょっと違和感、みたいなものを感じちゃうの。なんか、学校の宿題と同じようなつもりでゲームやってるんじゃないかなって。それって、本当に、杏奈はゲームを楽しんでいるのかなって思っちゃうんだ」
 杏奈さんはゲームに対してとても真剣です。だから、こうやってゲームの話をするときに表情や声の調子が変わることがこれまでも度々ありました。もしかすると、オンラインゲームの中の望月さんはずっとこんな雰囲気なのかもしれません。
 そんな望月さんに少し気圧されつつ、私はふむふむと頷きます。
「攻略本なんて見ないで、自分なりにやってもクリアは出来ると思う。そっちのほうが、実は、楽しかったり、するのかも、しれないって思っちゃって……」
 望月さんはそこまで言って、少し自信なさげに私の目を見ました。むむ、これは、私の答えを求めている時の望月さんの目です。
でも、こういう時の望月さんは、本当の意味での助言を求めているのではないのです。ある程度の時間、望月さんの部屋で過ごしてきた私にはわかります。だから、私はこういう時にはできるだけ当り障りのない回答をすることにしています。
「でも、私は、望月さんのしたいようにするのが一番いいと思います。望月さんは、少し、難しく考え過ぎなのではないでしょうか」
 そう伝えた瞬間、望月さんは安心したように笑顔を見せてくれました。
「ん、それじゃ、やっぱり、やり直すね。ここまでせっかくちゃんとやってたのに、もったいないし。瑞希さん、ありがと」
 そう言って起き上がり、望月さんはゲームのリセットボタンを押しました。よし、うまくいったぞ。
 私の言葉が、まったく具体性が無く、アドバイスになっていないことは自覚しています。でも、望月さんにとっては、これで十分なのです。もし、私が仮に全く別のことを言っても、望月さんの行動は結局変わらなかったと思います。
 再びゲームと向き合った望月さんを見て、私は安心して、改めて眠ってしまう前に読んでいた本を開きました。
 望月さんは、私よりも年下ですが、親元を離れて一人で暮らしています。私と望月さんが通っている学校は、中高一貫校で、遠方から入学してくる人もいるので、そういう人も珍しくないのです。ただ、普通は(女子であれば尚更)、寮に入るので、望月さんのようにマンションに一人暮らし、ということをしている人は殆ど聞きません。理由は詳しく聞いたことがないのですが、私が思うに、望月さんはそれだけ、自分の世界を強く持っているのだと思います。もちろん、悪い意味ではなく。
 結局、この日は夕方まで望月さんの部屋で過ごしました。望月さんは私が帰るまで、ずっとゲームをプレイしていて、私の「それでは、また」の挨拶も聞こえていないようでした。
三日後、雪が降りそうなくらい冷たい空気の中、私は望月さんの部屋の前に立っていました。ポケットに入れてあるスマートフォンは、メッセージの着信を知らせるバイブレーションでひっきりなしに震えています。まるで私の心を代弁しているかのようです。
 今朝、届いたグループチャットのメッセージ。「ちょっとアンナに連絡取れないんだけれど、誰か知ってる人いる? 一昨日からゲームにログインもしてないし……」私は、すぐに部屋に駆けつけていました。望月さんが何かに熱中すると他のことを忘れてしまうことはしょっちゅうあります。そのせいで学校を無断で欠席することもしばしばだと聞いています。でも、今回はなにか嫌な予感がしていました。何か、取り返しの付かないことが、起きてしまっているような。
 チャイムは何度か鳴らしましたが、反応がありません。私は少し躊躇しましたが、望月さんから預かっている合鍵を使って、ドアを開けました。部屋の電気は消えていて、ただ、テレビとゲームの電源だけが入っていました。テレビの画面には何も写っておらずただ黒く光っていて、部屋を薄暗く照らしています。そして、望月さんの姿は、どこにもありませんでした。
 もちろん、望月さんがたまたま外出しているという可能性も考えられます。でも、この状況はそうじゃないと、強く感じました。つけっぱなしのゲームもそうですが、この部屋全体から、突然人がいなくなってしまった、という事実が語られているように思えるのです。
 グループチャットを見るに、まだみんな望月さんのことを心配している段階で、具体的に行動を起こそうとする気配はありません。私は、この状況を伝えようと思い、スマートフォンを取り出しましたが、そこで私は初めて、こたつの上においてあるメモ書きに気づきました。そのメモには、間違いなく望月さんの筆跡で、こう書かれていました。
「ミズキさん、ゲームをクリアして。私、待ってる」
 私は、つけっぱなしのテレビとゲーム機そして、ゲーム機の横においてある、分厚い攻略本を見ました。その本のタイトルは『Hello World』。メモの意図は明らかです。
「……私にこのゲームをやってほしい、ということでしょうか?」
 それでも、そう言わずにはいられませんでした。しかもこの非常事態です。常識的に考えて、ありえません。
 でも、私の手はゲーム機に伸びていました。胸の動悸がはっきり聞こえます。どきどき。これは、きっと、良くないことなのだと思います。でも、私はそうしなければならないと、そう、思ったのです。
 そして、私は、ゲームの電源ボタンを、押しました。
「ようこそ! 『Hello World』の世界へ! これからあなたは、この世界の主人公となります。最初はとても、とても小さな世界ですが、あなたの行動によって、この世界はどんどん広がっていくでしょう。あなたの目的は、この世界を『完成』させることです。どのような世界になったら『完成』となるのか、ここではお教えできませんが、あなたならば必ずや成し遂げられることでしょう。それでは、頑張ってください!」
 ゲームは、このような言葉から始まりました。どうやら、このゲームの世界を作っていくことが目的であるようです。
 私、つまり、このゲームの主人公は、最初は小さな村に居ます。そこで、村長さんから、仕事__ゲーム中ではクエストと呼ばれています__を依頼されます。それは、人に荷物を届けることであったり、ダンジョンから宝物を取ってくることだったり、モンスターを倒すことだったり、様々です。
そうして、私がクエストをクリアしていく度に、少しずつ、世界は変化していきます。他の村や町との交流が始まったり、遺跡の発掘により技術革新が起こったり。最初は小さな村だけだった世界が、主人公の行動により、少しずつ世界が変化していく様子は、なるほど、確かに、私の行動が世界を作っていくように思えます。
 幸いな事に、クエストの指示は明確で、ゲームの経験が殆ど無い私でも、クエストをこなしていくことができました。
 私は、急ぎました。それは、もちろん、このゲームをクリアした先に、望月さんが待っているかもしれないからですが、それ以上に、望月さんがいなくなった部屋で、誰にも連絡せず、ゲームをするという、はっきり言ってしまえば非常識な行為をしていることの後ろめたさが、私を急かしていました。
 私はとにかく、与えられた指示を、最短で、もっとも効率よくクリアしていくことを考えてゲームを進めました。私のレベルがあがっていくにつれて世界はどんどん大きくなっていきます。最初に住んでいた村は、町になり、都市になり、最後には国になりました。クエストの内容も、最初は魔物の討伐や遺跡の調査でしたが、今では要人の護衛や機密文書の配達など、私の行動が国の意志決定に関わるようなものが多くなってきました。どれも、失敗してしまったら世界そのものが危機的状況に陥ってしまうような内容です。
 そのような中、ある日、世界を滅ぼそうとする終末思想者が現れました。この世界は間違っている、リセットされるべきだ、そんな声明を掲げ、世界各地でテロを起こします。私は全世界を飛び回り、直ちに鎮圧しました。
そして、組織の首謀者が、私の育ての親でもある村長さんであることが判明した後、私は彼と対峙しました。
 彼は、私を見て語りました。
「おめでとう、そろそろこの世界も「完成」が近づいている。もちろん、私にとっては全く喜ばしくないことだがね。今の君にはわからないだろう、この世界の「完成」しか考えていなかった君には」
 彼の言葉の意味が少し気になりましたが、私は迷いなく武器を構えました。一刻も早く、このゲームを終わらせなければ。
 戦いは熾烈を極めましたが、ついに膝をついた彼に向けて私は最後の一撃を放ちます。
「これで、終わりです……!」
 彼が消滅した後、ゲームの初めに聞いた声が、また聞こえてきました。
「おめでとうございます! あなたは、この世界を「完成」させることに成功しました。あなたが作った世界は、大変美しいものです。私が保証します! ……やはり、こうでなくてはいけません。完成された世界こそが、絶対なのです。それなのに、最近は……。いえ、こちらの話でした。ともあれ、あなたの役目はここで終わりです。お疲れ様でした」
 その言葉が終わったと同時に、画面がブラックアウトし、「The End」の文字が浮かびました。
 そして、私は、急に居心地の悪さを感じました。
 今、自分がここにいることが、とても不自然に思います。さっきまで、馴染みのあったはずの部屋の光景が、急によそよそしく思えてきました。私はとても嫌な予感がして、急いで部屋の外、玄関のドアを開けて、表札を見ました。
 そこには、「望月」という名前が書かれていました。でも、私はその名前に少しも心当たりが無いのです。
 何故、私はこの部屋に居たのでしょう。何故、あのゲームをやっていたのでしょう。とても、大切なことがあったような気がします。
 ふとポケットの中の重みが気になり、取り出してみると、うさぎをデフォルメしたキャラクターのキーホルダーの付いた鍵でした。私は、その鍵をじっと見つめ、寒空の中、ただただ立ち尽くしていました。

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