『街とその不確かな壁』/『君たちはどう生きるか』/『推し、燃ゆ』

2023年の備忘録としての走り書き。今年、これらの3作に触れたことが特に印象深かったので。 

 この3作は、私にとっては、同種のことを扱っている作品だった。それは、フィクションに対する態度について、という点で。
 『街とその不確かな壁』の元となった作品の、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、私のフィクションへの態度をを刻んでいる作品のひとつで、「僕」と「影」が分かれて、「僕」が「世界の終り」に留まることを決断するラストシーンは、単純化してしまうと「フィクション」と「現実」を対比し、そして、「フィクション」の側にこそ”敢えて”選ぶ価値があるという価値観、態度への強い影響があった。
 ただ、それから10年以上経って、その”敢えて”という態度はだんだんと持たなくなってしまった。いい加減に、なにかしらの結論を出さなければならない時期が来たのだと思う。そして、この3作はその手助けをしてくれた。

 ある絶対的な距離がある対象に対して熱量を注ぎ込み、解釈をする行為こそが自分を支え、形作っていることを、『推し、燃ゆ』は「背骨」と書いたが、そうやって、何も残さない、そもそも、残すということを前提としないような、日々を生きるために、フィクションを消費していくような態度には、自分は、やはり、どうしてもそうはなれなかった。

 『街とその不確かな壁』の最後、主人公である「私」(もはや「僕」ではない)は少年を後継者として街(=世界の終り)を出ていく。『君たちはどう生きるか』で、眞人は大叔父の「自分の世界を作って欲しい」という誘いを断り、現実へ戻っていく。どちらにせよ、「フィクション」は選ばれなかった。それでは、あくまで、余暇を消費するものとしてとらえ、それ以上に意味があるものとしては諦めるべきなのか。

 私にとって、救いというか、良いなと思ったのは『君たちはどう生きるか』において、眞人が小説の『君たちはどう生きるか』を読んで行動を起こしたことだ。そしてそのことが、結果的には、眞人にとって、よりよく生きようという意思を持つきっかけにもなった。

 結局のところ、私は、良く生きたいという願望を、諦めきれないのだ。そして、フィクションは、おそらく、私の中で、その願望と結びついている。それを「認めること」が、現時点での、私にとっての、フィクションへの態度として妥当のように思うし、これからも触れ続けることの、理由にもなるだろう。

ガルラジ

昨日、ガールズ ラジオ デイズのプロジェクトが終了した。

今日までずっと、彼女たちの今を、変わらないスタンスで伝え続けてくれたことは、本当に得難いことだったのだと思う。最後に、こんなに明るく締めくくりを迎えられたことも。

あの2019年から現在まで、個人的に本当に色々あって、正直、以前のように関心を持ち続けることが難しくなってしまっていて。そんな自分が今更何かを言ってもいいのかどうか、ということに迷いはあるのだけれど。

あのとき、あの熱狂の中に当事者として居て、多くの人と繋がれて、話もできて、一冊の本を、形として残すことができたことは、今思い返しても、なんて楽しくて、充実していた時間だったんだろうと思います。月並みだけれど、まるで文化祭の実行委員をやっていたような、自分の中の青春としての時間でした。もしかすると、人生最後の。
だから、ガルラジに、本当に感謝しています。間違いなく、自分の人生の中での、大きな1ページを作ってくれました。

日々はゆっくり進んでいくようで本当に容赦がなくて、2019年に対しての現在がそうであるように、これからも、今の自分には想像もできないような未来に連れて行かれてしまうのだと思うのだけれど、これから過ぎ去っていくであろう日々が、未来に振り返ったその時に、願わくば明るいものでありたい。そういう風に今思えるのは、ガルラジのおかげだと思います。

本当に、ありがとうございました。

眼鏡の度数が強すぎたらしい

眼鏡を新調する際に、視力検査をしてもらったのだけれど、そのときに、今使用しているレンズの度数が強すぎるという指摘があった。アドバイスに従って、度数を3段階ほど下げたレンズにしたら、より明るくはっきりと見えるようになって驚いた。それまで、今まで使っていた眼鏡で見えずらいと感じたことは無かったし、診てもらわなければ、きっとずっと気づかないままだった。

今年、久々の飲み会で、

「最近、大人になんてならなくて良い、じゃなくて、大人になっても良いって言われた方が救われるんですよね」

という話をしたら、

「それシンエヴァじゃん」

と返す刀で切り返されて痛快だった。エヴァに対する思い入れがあまりある方じゃ無いけれど、どうしようもなく、自分はそういう世代なんだろう。

最近、小説とか、音楽とか、アニメとか、そういった作品に対する距離感が、大きく変わったように思う。少なくとも、没頭するということが難しくなった。作品に没頭するということは、いったん自分を忘れるというか、どこかに置いておかないとできないことで、そういうことが今はできない。しなくても良くなってしまった、というほうがおそらく正しい。コロナが本格的に始まる前にあった飲み会で「フィクションしか信じられない」というようなことを言った記憶があって、そのときは相応の実感があっての発言だったと思うのだけれど、そのような実感からは、遠く離れてしまった。

マルクス・アウレーリウスの『自省録』にある、「善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ」という言葉が、思いのほか刺さってしまっていた。結局(という言葉を使ってしまうけれど)、自分にとって作品を楽しむことが切実だったのは、「善い人間のあり方如何について論ずる」ということだったのではないか。そして、それは作品をみるためのレンズの度数を上げていくようなものであったかもしれない。

眼鏡を新調したのは、結婚式に向けて、今の眼鏡から交換したいと思ったからだった。そうでなければ、今もまだ度が強すぎたレンズの眼鏡をかけたままだっただろう。今年は、きっと、そういうタイミングだったのだと思う。

眼鏡を買った

上野の白山眼鏡店で。ここで買うことにちょっと憧れがあって、一番リーズナブルなモデルだけど、買えて良かった。

デスク周りアップデート

デスク周りを改善した。

〇現状

〇Before

〇やったこと

  • モニターアームで奥行きの面積確保。
  • PCワゴンを買って横幅を拡張し机下の配線等の整理。
  • iPad・ノートPC用のスタンドを買って位置を固定化&省スペース化。
  • 縦済み本棚を買ってデスク上で本を積むのを防止。
  • モニターライトを付けて光源を確保。
  • デスクマットで机上のものの移動をスムーズに。
  • マウスをトラックボールに替えて位置を固定化。
  • かわいいキーボードを作った。

 かわいくないですか?

    • キーボードはかわいいほうが良いと思ったんですよ。 
    • 自分好みのかわいいキーボードは市販で探すのが大変なので自分で作るのが一番早いと判断。愛着の問題なのでそう言う意味でも作った方が良いと思った。
    • はんだ付けとかコーディングとか必要なのかなってぼんやり思ってたけど調べたらスイッチやキーキャップ等をはめるだけで良いお手軽なものもあったので購入。
    • 買ってから基盤が光ることに気づいた。特に光る必要は無いって思ってたけど案外楽しい。

軽井沢

昨日、日帰りで軽井沢に行ってきたので記録。

新幹線に乗って10時過ぎぐらいに到着。駅前でレンタルサイクルを借りて旧軽井沢方面へ。

「ベーカリー沢村」という有名なお店があって、そこでブランチの予定だったのだけれど、丁度モーニングとランチの合間のタイミングでレストランとして営業していなかったので、パンを買って食べた。

この蛇みたいなパンが、ショコラ大納言という名前のとおり、小豆とチョコが詰まっててめっちゃ美味しかった。

その後、午前中いっぱい旧軽井沢を散策。いかにも軽井沢、というイメージの商店街。人力車も走っていた。

最近オープンしたスヌーピーショップがあって、とても可愛かった。スヌーピー好きな妻に影響されて、最近は自分もちょっとお気に入りになりつつある。

商店街からちょっと離れて、別荘街をサイクリングしたりもした。こういう感じの雰囲気の通りがずっと続いていて、サイクリングするのがめちゃくちゃ気持ちいい。

午後は、駅に戻って自転車を返却し、バスでセゾン現代美術館へ移動。「地つづきの輪郭」という企画展が開催中だった。

この美術館は入り口から館内までの道の雰囲気がすごく良い。ただ、このあたりから天気が怪しくなってくる。

企画展は、高嶋英男さんの作品に目を惹かれた。壺を使った、異形の人のような作品。(撮影許可されてました)

不気味なんだけど可愛らしい感じがあって、見ていて引き込まれてしまった。ポストカードを買った。

展示を見ているうちについに土砂降りの雨が降って、とても外にでられなかったので、美術館の併設カフェで雨宿りをする。妻と作品について話していて、妻が「作品を観て〇〇に似ているという感想になっちゃうのは恥ずかしい」というよう旨のことを言っていて、何かを鑑賞して上手く言葉にできなかったときに、無理に自分が知っている言葉の中で何か言うとその(おそらく自分の本当に受け取った印象からズレているだろう)言葉によって印象が決まってしまうことを思うと、〇〇に似た印象を受けた、というほうがよっぽど誠実なんじゃないか、というようなことを話した。

雨が止んだあと、最寄りのバス停のバスを目の前で逃してしまったので、少し山を下ってバスの本数が多いハルニレテラス付近へ行き、バスが来るまで少し散策。遊歩道から見える川が良かった。

その後は駅に戻り、軽井沢プリンスショッピングプラザ(軽井沢駅前のものすごく広いショッピングプラザ)でお土産を買い、夕食を食べて帰途へ。

20時半頃に戻ってきて新幹線から降りたら夏の熱気で、軽井沢がいかに涼しかったかを実感し、早速恋しくなってしまった。

結構強行軍だったので、今度はもう少しゆっくり行きたいですね。

アイドルコネクト2022 読んだ

 先月リリースされた、アイドルコネクトのノベルアプリの、全てのシナリオを読んだ。

 先月中には読み終わっていたんだけれど、どうもまとまらなくて、感想を書きあぐねていたら8月も中旬になっていた。

 ある種の同人的な、と言えば良いのか、作り手がやりたいことをやろうとしているな、という肌感覚みたいなものは、やっぱり作品を読むとわかって、アイコネはリリース当時にそういう作品だという印象を受けた。その手つきが好ましいと思ったから、それが失われてしまうのが嫌だった、ということは、CF発表当時にnoteに書いた。

 このnoteを書いた後、CFが始まってすぐに目標金額が達成され、夢を見ているのでは無いかと思ったことを覚えている。もう少し、世の中を信じても良いのかも知れないとそのときは本気で思ったりしていた。そうやってCFが達成されたこと、そして実際にリリースされたこと、本当に奇跡のようなものだなと思う。まず、間違いなく、ビジネス的な判断で続けられるようなものではなかっただろうから。

 ユニットシナリオは、メモリア→ガネパ→ナチュライクの順番で読んだ。読み方としては正解だったと思う。個別の詳細な感想は省くけれど、メモリア、ガネパのシナリオが、アイドルというものに対してかなり明確に、物語的な意味付けを行っている(アイドル活動という状況の中に常に彼女たちが居ると言いなおしても良いかもしれない)一方で、ナチュライクはそういったものから少し距離を取った、言ってしまえば、「なんでアイドルするんだっけ?」ということに対する問いに、メンバーがそれぞれの事情をもとに向き合うというシナリオに読める。
 そもそも「アイドル」というもの自体、なんとなくふわっとしている(ミユのように!)もので、だからこそ、キャラクター各々の物語の受け皿になり得ると思っているんだけれど、そういうふわっとしたものをふわっとしたままで、その上で、こういうことを言ってくれる作品だから、自分は好きになったんだよな、と思えて、6年越しに答えを貰ったような気持ちになれた。

 完成させてくれて、本当に、ありがとうございました。

近況

  • 猛暑。異常だと思うけれど異常であることに慣れてしまっている。粛々と自衛するのみ。
  • 発注していたダイニングテーブルが届いた。これでようやく「家」っぽくなったように思う。
  • 最近触れていた作品についてメモ。
    • プロセカ
      • メインストーリーをなんとか解放しきって、現時点で一年前ぐらいまでのストーリーまで読んだ。最初は気になったユニットを先に、と思っていたのだけれど、イベントストーリーが時系列に沿っているので順に追っている。ワンダショとニーゴを並行してやれるのすごい。あとでインプレッションを別記事でまとめるかも。しかし、本当にソシャゲで物語をちゃんとやれるようになったんだな。
    • 今期アニメ
      • 「であいもん」:良かった。客観的にみると各人がかなり険しい状況だと思うんだけれど、基本的に人とか世界とかに対する地に足の付いた信頼が、穏やかさに繋がっていたように思う。主題歌の坂本真綾の「菫」は本当に良い曲。
      • 「パリピ孔明」:面白かった。まさか令和になって「気分上々↑↑」をこういう風に聴けるとは思わなかった。タイトルで落ちてるけど、やっていることは大真面目だったから印象が良かった。普通にラップバトルができるのはここ数年でできるようになった幅の広がりを感じた。英子がかわいい。
      • 「SPY FAMILY」:楽しんで観てた。流石に予算のかかり方が違うな、みたいな穿った目で見てしまってもいたけれど。モブとか世間の描き方あたりが、良くも悪くもジャンプ作品だなという印象。そういった点は「であいもん」と対照的だったかもしれない。2クール前提とはいえ最終話はもうちょっとちゃんと締めて欲しかったな。
      • 「まちカドまぞく 2期」「虹ヶ咲 2期」:途中で止まってしまっているけれど、ちゃんと観る。
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