カテゴリー: 日記

生活

気づけばもう桜が咲いていた。

2ヶ月ぶりに美容室へ行って髪を切った。これまで通っていた頻度が1ヶ月~1ヶ月半に一度ぐらいだったから、そこまで間が空いたわけではないのだけれど、やはり、ずいぶん久しぶりだと感じてしまった。

一緒に住む人ができて、住む場所が変わって、その場所で生活を始めて、1ヶ月ほど経って、実感したのは、これまでいかに生活に対して当事者でいることを回避していたかということで、今はとても忙しいし、充実している。

最近、会社から帰るときに、父親のことを待っていた、子どもの頃の自分がふと思い出されて、それは父親のことに自分を重ねている、という単純なことだけではたぶんなくて、自分の家に帰るということそのものに対して、意味づけが生まれたということなんだと思う。生活の当事者になるということは、そういった意味を引き受けるということでもあるのかもしれない。

ご報告

この度、とても素敵な方とご縁があり、結婚しました。

今後ともよろしくお願いします。

新年

 あけましておめでとうございます。

 昨年11月~12月にかけてとにかく多忙で、あっという間に年が明けてしまった。新年の準備をする余裕さえなく、今日ようやく餅や雑煮用の食材などを調達することができて、少し落ち着いた。蒲鉾や伊達巻きが半額になっていたのは素直に得をしたな、と思う。残り物にはなんとやら。

 去年に比べれば世間的にも明るい雰囲気の新年だと思う。まだどう転ぶかわからないけれど、どう転んだところで、やっていくしかないのだということを、この2年間でみんな実感してるんじゃないだろうか。全体が良くなることはもうたぶん期待できないけれど、自分の周辺ぐらいは良くしていこうと思っていたほうがきっといい。

 スーパーで貰った干支の置物。思いもよらずかわいくて嬉しい。

 先月中に、ワクチンの2回目の接種を終えることができて、休日に人と話すことも増えた。ようやく、そういう風に気持ちを向けることができた。人と話して、意外と自分は社会的な人間だったらしい、と気づく。日々の暗さや閉塞感に、自分の気持ちがここまで引っ張られてしまうとは思っていなかった。
 1年前に発表された曲の、「どこかに出かけて 誰かに会うのは 生きていく以上 当たり前のことだ」という歌詞をまた思い出す。良い音楽を知っている人に恵まれていたのは僥倖だった。
 
 仕事帰り、駅のホームを降りると、駅前の繁華街に、21時でも光がある。引っ越してからもう1年以上経ったが、そういう街の姿を見たのは初めてだった。
 それまで街の光のかわりにあったのは工事車両だった。舗装工事を終えて、白く綺麗になった道に光が反射し、ほんの数週間前から比べるとまるで違った街に見える。そして繁華街を抜けた先には、来春オープンの大型商業施設のビルが聳え立っている。
 それは、間違いなく気持ちを明るくしてくれる光景なのだけれど、元に戻るのではなく、新しく上書きされていくのだな、という気付きにもなった。きっと、光を取り戻せなかった場所もたくさんあるはずだ。

 自分自身の中にも、この約2年間によって分断されてしまったものがあって、そういったものの中には、もう戻ってこないものもあるのだろうという予感がある。逆に、やっぱり切り離せそうに無いものもわかってきたような気がする。そろそろ、もう一度選び直しても良い頃合いだろう。

休暇

 お盆に出勤していた振替で、遅めの夏休みをとっている。年末年始に帰れそうにないのと、実家の家族のワクチン接種が2回完了したため、帰省することにした。ちょうど彼岸の時期だったこともあって、ずっとできていなかった墓参りも済ませた。天気が晴れていて良かった。彼岸の時期に晴れているのは珍しいと母が言っていた。

 近所に新しい家が増え、祖父の代まで畑だった土地にも新築の家が建った。ここ数年で新陳代謝が進んできているように思う。そういう意味で、まだまだ生きている街なんだろう。

 母が十五夜を律儀に準備していて、薄を用意したり、月見団子を買ってきたりしていた。子供の頃は全然そう思わなかったけれど、こういうことができること自体、実はかなり得難いことなんだということが、最近になってようやくわかってきた。月が綺麗だった。一緒に見ていた母親が、「月の光でコロナが飛んでいっちゃえば良いのに」と言っていて、あまりにも屈託が無くて、笑ってしまいそうになった。

 父の日に贈ったジョニーウォーカーの18年がまだ残っていて、父親と二人で飲みながら話す。前回の帰省の時に、わざわざ買ってくれたアクリルのパーテーション越し。体調が良くないから常飲は止められていて、帰省のタイミングが飲む理由になっているらしい。それだけでも帰ってきて良かったのかなと思う。

 明日には戻る。戻るときはいつも解放感と気まずさがあって、その感覚を確かめに帰省しているのかもしれない。

ブクガ

先週、Maison book girl、ブクガのラストライブを収録したBDが届いた。

届いたら満足してしまったのもあって少し間が空いてしまったのだけれど、今日ようやく、その中に収録されているドキュメンタリーを観ることができた。

ブクガがラストライブを行い、ホームページが削除されたのが5月末で、それ以降、Twitterでの更新を停止してしまったメンバーが、今週、このBDの宣伝のために一斉にツイートしてくれたのを見たときはさすがに少し泣きそうになった。こんな終わり方をするものだからどうしたって心配になってしまう。まあ、そういうところが好きだったんだけれど。

ドキュメンタリーには2020年1月の「SolitudeHotel ∞F」公演終了から、ラストライブまでの様子が収められていた。スタジオでの収録や、ダンスレッスン、リハーサル。ブクガのライブは、徹底的に作り込まれた世界観の中で、非現実感を味わうことが醍醐味であるのだけれど、ドキュメンタリーに収録されているそれらは当たり前に現実で、色々な人たちが関わっていて、自分が見てきたあの非現実的なステージが、こういう現実的な「仕事」の上で成り立っているものということに途方も無さを感じてしまった。

ドキュメンタリーに対して、どこかで、終わることに対しての事情説明(とそこにあるであろうドラマ)を求めていたことは否めなくて、しかしそういうものは一切無かった。ただ音楽やライブに向けて純粋に向かっていく彼女たちの姿があった。
後半、ラストライブの一日前、会場入りする車に乗ったメンバー達にカメラが向けられ、そこでは、道ばたで見かけたファミレスを切っ掛けに、6年前に泊まりがけで地方に行ったときの思い出が、「あんなこともあったね」と、ごく自然に話されていて、そのなんともなさが印象的だった。

ドキュメンタリーの最後には、各メンバーからのボイスメッセージがあって、そこでようやく、終わったんだなと実感することができた。和田輪さんが「ブクガ、良いグループだよね」と言ってくれたのは嬉しかったな。

結局、解散の理由は明かされないままだった。予定されていたのかもしれないし、やはりコロナの影響があったのかもしれない。ただ、解散に対して、メンバー達からのメッセージは前向きなものだったし、それは本心のものだと信じたいし、それならば、こちらとしては、これまでにちゃんと感謝して、ちゃんと寂しくなれればいい。

夏が終わる。

 

中庸

中庸を取る、みたいなことが難しくなったな、と思う。

自分の行動基準は自分で決めるしかない、という大前提の上で、それでもバランス良くありたいなと思っているところがあった。でも、そもそもその「バランス良く」なんてものはやっぱり存在していなくて、自分自身という偏りがあるだけだということが、かなりはっきりと実感できてしまって、こういうどこかで読んだことがあるようなことが、全然わかっていなかったんだなということに茫然とする。

それでも自分と近い考えの人がいると安心するし、そうでない人のことはちょっとこわく思ったりするのだけれど、自分の中でそういう感情があることを否定しないでおいて、その感情を基準にその人個人を判断することをできるだけ避ける、みたいなことが必要なんだろうか。自分が「するべきでない」と思うことはあくまでも自分に対してのもので他者に当てはめる「べきでない」。「べきでない」がループしてゲシュタルト崩壊しそう。

こういうことを考えているせいなのかどうかわからないけれど、最近とにかく集中ができない。昨日はTV版エヴァの最終回の放送があって、十数年ぶりに観た。Take care of yourself.よっぽど今の方が言っていることがわかるような気がした。

はじめました。

個人サイトを作ってみました。

やっぱり一度作ってみたかった。若い頃にやり損ねていたことのひとつ。まあ、そんなに置いておくものもないのだけれど……。

これまでnoteで書いていた日記については今後はこちらで更新します。