眼鏡の度数が強すぎたらしい

眼鏡を新調する際に、視力検査をしてもらったのだけれど、そのときに、今使用しているレンズの度数が強すぎるという指摘があった。アドバイスに従って、度数を3段階ほど下げたレンズにしたら、より明るくはっきりと見えるようになって驚いた。それまで、今まで使っていた眼鏡で見えずらいと感じたことは無かったし、診てもらわなければ、きっとずっと気づかないままだった。

今年、久々の飲み会で、

「最近、大人になんてならなくて良い、じゃなくて、大人になっても良いって言われた方が救われるんですよね」

という話をしたら、

「それシンエヴァじゃん」

と返す刀で切り返されて痛快だった。エヴァに対する思い入れがあまりある方じゃ無いけれど、どうしようもなく、自分はそういう世代なんだろう。

最近、小説とか、音楽とか、アニメとか、そういった作品に対する距離感が、大きく変わったように思う。少なくとも、没頭するということが難しくなった。作品に没頭するということは、いったん自分を忘れるというか、どこかに置いておかないとできないことで、そういうことが今はできない。しなくても良くなってしまった、というほうがおそらく正しい。コロナが本格的に始まる前にあった飲み会で「フィクションしか信じられない」というようなことを言った記憶があって、そのときは相応の実感があっての発言だったと思うのだけれど、そのような実感からは、遠く離れてしまった。

マルクス・アウレーリウスの『自省録』にある、「善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ」という言葉が、思いのほか刺さってしまっていた。結局(という言葉を使ってしまうけれど)、自分にとって作品を楽しむことが切実だったのは、「善い人間のあり方如何について論ずる」ということだったのではないか。そして、それは作品をみるためのレンズの度数を上げていくようなものであったかもしれない。

眼鏡を新調したのは、結婚式に向けて、今の眼鏡から交換したいと思ったからだった。そうでなければ、今もまだ度が強すぎたレンズの眼鏡をかけたままだっただろう。今年は、きっと、そういうタイミングだったのだと思う。